パーキソン病を発病して入院は13年で12回!

私が患っている病気の名前はパーキンソン病といって脳の内側から末端の筋肉に信号が流れていって動かしたりするシナプスというシグナルを出す機能が鈍くなり、徐々に片側の身体が動かなくなって重みを感じる時がありました。

そんな中で私が3回目の入院をした順天堂大学医学部附属順天堂医院脳神経内科は6人部屋でした。

当時はDBS(脳深部刺激療法)がまだ厚生労働省が認可を出して6年を迎えた最先端医療として効果的であり、脚光を浴びていた治療となっていました。

そんな中で手術は毎週金曜日となっていて2名以上は行わないと決まっており、なぜかと主治医に話を聞くとDBS調整と副作用のことを理解せずして患者さんが満足する治療ができるかという答えが返ってきたのです。

当時、アメリカのパーキソン病財団との差としてはベッド12床分に相当する額と研究費寄付の割合だと聞いています。

さて話を私が入院していた時に戻させてもらうものの、手術後1週間経って外科病棟から内科病棟へ移って主治医が病状を見にきたのでした。

また病院の1号館1階にあるレストランでは1人退院していくごとにパーティーが行われていました。

ちなみに入院していた時のお風呂は1人30分と決まっており、多くて1人の看護師さんが6人連続で見なければいけませんでした。

その当時の体を洗ったり、流したりする姿は修学旅行が毎日続いているみたいだったと記憶しています。

またパーキンソン病は進行すると口からものを食べることが難しく、鼻から胃に管を通す経管栄養やいわゆる胃瘻(いろう)といった処置をとらないといけなくなるのです。

私の祖父もパーキンソン病を患い、晩年は経管栄養を行っていました。

ただそれでも祖母は一緒に食卓を囲みたいと思い、けっして軽くはない祖父を1日に何度もベッドから車椅子に移乗させていたのでした。

最後にパーキンソン病は誤嚥(ごえん)性肺炎のリスクも伴っており、祖父が寝ていたベッドの横にはたん吸引器があった記憶があります。